愛知大学設立趣意書 (現代語訳) (原文はここをクリックしてください)
〔1946年11月15日(注1)創立〕
私たちの日本は長年にわたる今回の戦争によって物質的精神的に荒廃させられ、とくにその結果は惨憺たる敗戦をまねき、まさに壊滅の危機に立っているといっても言いすぎではない。
いま、このような壊滅を免れようとすれば、事態をこのようなものに到らせたふるい日本の誤った指導と長年にわたって積もり積もった弊害とを一掃して、新しい日本としてよみがえらせる道を選ぶ以外にはないのである。
まことに新しい日本が進むべき方向は、旧来の軍国主義的、侵略主義的などの諸傾向をすべて投げ捨て、社会的存在のあらゆる範囲にわたって民主主義を実現し、自らを文化、道義、平和の新国家として再建することによって世界の一員として、世界文化と平和に貢献できるようなものになろうとすることでなければならない。
このような私たちの日本の新しい出発にあたって、さしあたって解決しなければならないさまざまな種類の問題が山積みしているけれども、とりわけ、学問、思想、文化をさかんにし、教養があり社会に役立つ有能な人材を養成することは、急務であると同時にもっとも基礎的なもののひとつであると言うべきであろう。私たちが相談しあってここに愛知大学を設立しようとするのは、まさにこのような客観的要請に呼応するものであり、ひと言で言えば世界平和に寄与すべき日本の文化・科学を発展させ、社会に役立つ有能な人材を養成するという点につきるのである。しかしながらこの時にあたって、予定しているような地方で本大学を開学しようとするについては、おのずから特殊な意義と使命もまたないわけではない。すなわち、
第一、本大学は所在地を中部日本の一地方都市(愛知県豊橋市)に置くのであるが、その理由はいま私たちの国で学問文化を発展させようとするためには、学問文化の大都市へのかたよった集積をしりぞけて、地方に分散させることこそが望ましいという趣旨を活かそうとする含みをもっているからにほかならない。周知のように名古屋市を中心とする中部日本にはまだ法文科系の大学がないので、この地方にはこのような文化機関を設置してほしいという要望が非常に強くある。愛知大学はこの要望に応えて学問の研究をさかんにするとともに、周囲への文化的影響を意義あるものにしようとするものである。
第二、世界文化と平和に寄与すべき新しい日本の建設に適した人材は、国際的教養と視野をもつことがもっとも必要な資格のひとつであると考えられる事情を考慮して、本大学としては一般的学問の基礎の上に各国の政治・経済・文化の研究に重点を置く科目を設け、これを必須科目とし、いわば国際文化大学のような性格をひとつの特徴にしようとする意図をもっているものである。このような大学は私たちの国にはまだないので、本学はこの点にいままでにない新しさを打ち出そうとするものである。さらに
第三、本大学は第一年度に予科(注2)のすべての学級を、第二年度には学部のすべての学年を同時に開設して、中部日本出身の学生(男女(注3))で遠く離れた土地で学んでいる者のうち、世の中の状況から就学が不便なために転学しようとする者の要望に応じるとともに、外地(注4)の大学、専門学校(注5)に在籍する学生の困難をもやわらげようとするものである。外地から引き揚げた学生はいま転入学が困難な事情のもとで苦しみ悩んでいるだけでなく、わりあい国際的知識欲が旺盛なので、その学生を本学に受け入れて思想的・学問的に教育しなおすこともまた、本学の性格にふさわしいひとつの任務と考えられるものである。
以上の諸見地から、微力をもかえりみずにここに愛知大学の設立を企てようとする私たちの真意が各方面で正しく理解され、この企図に対して支援と鞭撻を与えられることを念願してやまない次第である。
(注1)1946年11月15日:現日本国憲法は1947年5月3日から施行されたが、公布されたのは1946年11月3日であり、公布の12日後にあたる。
(注2)予科:旧制大学入学前の段階で、旧制高等学校に準ずる課程。
(注3)男女:旧制大学として出発するにあって、女性を積極的に受け入れようとする意図を明確にしている。
(注4)外地:日本固有の領土以外に,第二次大戦までの日本が領有していた地域で、朝鮮・台湾・樺太(サハリン)・南洋群島など。
(注5)専門学校:旧制の専門学校令に基づき専門的な学問、技術を教育した学校で、学制改革により新制大学となったものが多い。
付記:この「愛知大学設立趣意書」現代語訳は、大学の公式のものではありません。