オーバビー先生の2007年講演旅行を、支えてくださった皆様、ありがとうございました。
オーバビー先生は、6月29日午後1時、関空発アメリカ行きの飛行機にて、無事日本を発たれました。そして30日の午後、無事にご自宅に到着されたことお電話がありました。
全体では5週間の滞在でしたが、帰国される前、感想に語っておられたことを、ご紹介申し上げます。
「私は、81歳で日本にやってきましたが、今、61歳になってアメリカに帰っていきます。これまで、何度も日本を訪問していますが、今回の講演旅行は、これまでのどの旅よりも、有意義なものでした。今までにお会いできなかった、大変多くの、様々な方々とお会いし、お話し、出会えた事に、感謝しています。
中でも一番大きな出会いは、広島市の秋葉市長にお会いしたことでした。市長は、核兵器廃絶のために力を尽くされているばかりでなく、「平和文化」を育てる活動をされています。私たちは今、「戦争文化」の中にいます。これは単に戦争があるということだけではなくて、私たち自身の日常のものの考え方、そのものが 「戦争文化のもの」 だという発想です。ですから、これに対して 「平和文化」 を求めていく活動は、私の訴えている内容と多く重なります。広島市はこの夏から来年の大統領選挙の時期にかけて、アメリカの101の都市で「原爆展」を開催する計画だと新聞で知りました。私は、この活動を強く支持して働きたいと、協力を惜しまないことを市長と、広島平和文化センターのリーパー理事長に申し上げるつもりです。」
以下は旅の様子をおおまかにご紹介するものです。
あまりに多くの方のご好意に支えられ実現した旅でしたから、全てをここでご紹介できませんが、まず最初は、出発直前にやっと完成した英語の講演原稿を、最初の講演会・関西大学の大津留先生が、講演前日の夜、徹夜で日本語にして下さいました。
京都では立命館大学で学生さんから伝えられた感想を真摯に受け止め、その後、アンクルサムの劇場の内容を、見直すきっかけになりました。
広島のISUD学会では、来日のきっかけを作ってくださった岡本先生ご夫妻にお礼を申し上げました。 広島市長にお会いし、広島平和文化センターの活動にも触れました。
名古屋では、旧知の第9条の会なごやの人たちが独自の講演会ではなく、愛知大学の九条の会やその他、たくさんの団体も共同で講演会を成功させることに力を入れたと言ってくれました。ですからここでも女性科学者にお会いできました。南山大学でも講演しました。名古屋大学では私のGTBDの訴えに共感してくださる、9条の精神で頑張り続けられた日本の科学者の方々にお会いできました。 名大の講演会では沢田先生やシーゲル先生のコメントもあり更に内容を掘り下げることが出来ました。平和行進で多くの方が歩かれているのにご一緒できて、瀬戸市の議会の方々とも懇談し、また、GAIAの会に集まる女性達のみな夫々の生き様について教えられ、また、青年達との交流の中では、ピースボートという素晴らしい学びの場で、自分がいかに多くのことを学んだかを伝えることが出来ました。 名古屋の高校生が、私の話しを聞くために集まってくれ、彼らの何人かが、鶴の折り方を教えあいながら、800羽あまりの鶴を新しく折ってくれました。アメリカで1500羽以上作って持ってきた鶴が、会場に集まる皆さんに配るうちにすっかりなくなってしまったからです。
長野市の講演会では500人の方が集まってくれました。これは、今回のスケジュールの中で最大の規模でした。上田市では毎週土曜日の午後駅前で繰り広げている集会とデモ、その200回目に参加することが出来ました。デモの後、ギターに合わせてWe
shall overcome.を歌いました。この歌は「豊中 いちばん星」の皆さんとも一緒に歌ったものでした。
飯田市の講演会で、「実は京都と名古屋で平和博物館を見学し、そのどちらもとても充実した内容で、大変教育的なものでしたが、名古屋の平和博物館(戦争資料館)のボランティアの方から、九条を実現するために私たちは何をしなければいけないかというご質問を受けて改めて考えたことがあります。それは、これらの博物館にもう1つ、部屋を増やしてそこに、国境のない第9条の魔法をイメージすることで私たちに何が出来るか、その可能性を展示するそんな部屋があったら、『私たちは何をしなければならないか』が提案できるのではないでしょうか」 という提案もしました。
北海道では、私のアンクルサムの劇場用の大きなパネルの日本語版をしっかり用意してくれていました。その後の講演ではこれを使い、アメリカまで持って帰りました。 釧路で基地反対闘争をしている人たちと暖かい交流もしました。
名古屋でパレスチナ展を開催されたフォトジャーナリスト広河隆一さんにお会いし、お話しを聞く機会を得て、大変感激しました。広河さんの偉大な報道写真誌DAYSJAPANの発行部数が25000だと聞いてこれは大変少ないと思いましたから、その後、あらゆる機会に、この写真誌の宣伝をしました。広河さんとのディスカッションの席で広河さんが発言された内容 「私たちジャーナリストは、私たちの後ろに、私の目の前で起こっていることを知る権利のある人々がいることを自覚して仕事をするべきだと思う。民主主義社会であるならば、何が本当は起きているのか 人々は「知る権利」がある。これがなければ民主主義社会はない。そのためにジャーナリストの使命がある。」というご発言でした。とても強い感銘を受けました。
東京では、オーバー東京が主催された17日の講演会会場の外で、大音量の右翼に歓迎されました。日本では何度も講演していますが、初めての経験でした。九条をめぐる緊張と、その重大性を読み取り、ますます励まされました。 早稲田大学と国立市の一橋大学を訪問しました。これも大変新しい経験でした。大学の研究者の方々と終了後の交流をし、共感しあうものがあって、嬉しい経験でした。国立市では桐朋高校の高校生達がとても熱心に聴いてくれて、質問も多く、今後もやり取りが、続くものと思われます。 東京では、国会前で座り込んで教育3法に反対し、強行採決に抗議する人々を励ましに国会前まで出かけました。アンクルサムとして「私(アメリカ)の戦争中毒を治してください。日本は9条の知恵で私に教えてください」と訴えました。そこで、日本山妙法寺のお坊様と再会し、来年の世界九条会議や、平和市長会の活動を支援されている この方々と、アメリカでは九条のために協力しましょう と励まし合うことが出来ました。 そして偶然にも6月16日に、東京外国語大学の九条の会が発足されましたから、世界各国の言葉でメッセージを発する活動への連帯と激励のメッセージを送ることができました。
大阪での二度目の講演では、会場に来られた方からVFP(アメリカ平和のための退役軍人の会)の憲法修正案について、「VFPの修正案は、日本にとって見過ごせない重大な問題を持っている。改正派の人が都合よく利用できる。それが解っていますか?」という指摘を受け、私はこの初めての問題提起に重要な問題があるとわかりました。アメリカに持ち帰って、今年8月のVFP年次総会で、この問題について報告相談したいと考えています。
沖縄には「沖縄スタディーツアー」に応募してくれた人と、楽しい旅行をしました。横浜市で「高校中退とか登校拒否など、今の生き難い社会で抵抗を続けている子ども達を指導し、旅をしながら学び、アメリカの高校卒業の資格を得る・旅の学校・のむぎ」を主催している「ひぐりん」こと樋口さんが子ども達の平和学習のために沖縄を熟知されているので道案内をお願いし、予想通り、素晴らしい学習の旅になりました。 最後の大きな講演会場、沖縄には400名以上人が集まり、約半数は若い学生さんでしたからそれがよかったと思いました。
秋田にも飛び、男鹿半島の温泉で休養もさせていただいて、地域の人や学生さんと親しく話し合うことがありました。
大阪と名古屋のYWCAそして法学館憲法研究所(東京)でインタビューを受けましたから、それぞれが、会報などで公にしてくださると思います。 毎日新聞も取材してくれました。
ところで最後は、皆さんからいただいた贈り物や書物、資料で一杯になった大きな荷物、来日のときの荷物の全重量が二倍くらいになっていたと思いますが、第9条の会日本ネットの女性3人が関空まで一緒に運んで、見送ってくれました。最後まで暖かい歓迎に本当に感謝します。
以上本当にほんの少し、ご紹介できただけですが、これらのあらゆる活動を大変多くの個人・団体の皆様の浄財で支えていただきました。お陰をもちまして、オーバビー先生がご自分で買われた航空券の費用もまかない、全ての支出を皆様のご支援でまかなうことが出来ました。出来るだけ早く、報告集を作成し、お返ししたいと考えています。
ありがとうございました。
2007年7月2日
アメリカ第9条の会チャールズMオーバビー先生
2007講演旅行援助たかだ洋子