九条の生命力を示す——イラク派兵違憲4.17名古屋高裁判決の意義


小 林  武

 2008年4月17日、自衛隊イラク派兵の差止めを求めた訴訟の名古屋高裁判決の日、私は、先に、原告市民の側に立って証言をし、また鑑定意見書を書いていた縁もあって、法廷にいました。「派兵は違憲」と判決文の朗読が進むにつれて、原告の人々からは、抑えたものながら拍手が起き、閉廷となるや満場握手と抱擁で沸き返りました。主文は「控訴棄却」、つまり原告側が敗訴したのに、喜びであふれたわけです。自己の利益の主張を通路としつつ、真の目的はみんなの権利の擁護を目指す、憲法裁判の真髄を如実に示した光景でした。
 裁判長は、「航空自衛隊が米軍を主力とした多国籍軍の武装した兵員を、戦闘地域であるバグダッド空港へ輸送しているのは、イラク特措法に違反し、かつ憲法9条1項に違反する活動にほかならない」と読み進めました。これほど明瞭な違憲判決が今日のわが国の法廷で本当に言い渡されているのか、わが耳を疑いながら聴いて、私は、涙をこらえることができませんでした。そうか、これは幻ではないのだ、と知り、歴史が進む姿を目のあたりにしている思いがしました。
 実に、憲法裁判史に黄金の釘をひとつ打ち込んだだけでなく、違憲の軍国主義政治に転換を迫り、憲法どおりの政治と平和な社会の実現を願う国民を大きく励ます、画期的・歴史的な判決であるといえます。その全面的な評価は、これから多方面から総合的になされるべき課題ですが、紙面を与えられた機会に、判決のもつ意義についていま感じているところの一端をお伝えしたいと思います。

 1 イラク派兵は違憲、平和的生存権は裁判規範
 判決は、アメリカ等による攻撃で国際的な武力紛争が続いているイラク、とくに首都バグダッドは、特措法にいう「戦闘地域」であり、そこへ武装兵を運ぶ空自の活動は、米国等の武力行使と一体のもので、それ自体も武力の行使にあたり、武力行使を禁じ、かつ戦闘地域への派兵を禁じている特措法に違反し、ひいては憲法に違反する、としています。これは、自衛隊の存在そのものは認め、また、特措法も合憲的に成立している法律であることを前提にしたもので、政府の憲法解釈に沿った論理です。
 つまり、この判決は、政府の憲法解釈にもとづいてもなお、今般の派兵は憲法違反となるとしているわけであり、それゆえに政府が容易に覆すことのできない、安定した堅固な論理を用いているといえます。判決に対する政府側からの論難が、いささか奇妙なことに、傍論で違憲判断をすることは許されないという、手続的・訴訟法的側面に集中しているのも、イラク派兵違憲の実体的判断については反論が困難であることを物語っていると思われます。
 この判決のもつ画期的意義のもうひとつは、平和的生存権が具体的な裁判規範としての性格を備えた権利であることを、これまた正面から認めたところにあります。憲法の前文に、「全世界の国民はひとしく平和のうちに生存する権利を有する」と書かれているのがこの権利ですが、これまでのほとんどの裁判所は、これを抽象的な権利にすぎないとして、市民が訴えの根拠にすることを認めてこなかったのです。しかし、名古屋高裁は、人権は平和なしには存立しえないという考えに立って、平和的生存権はすべての基本的人権の基盤にある基底的な権利であるとし、市民が裁判所に対して保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求できる具体的権利性をもつ、と判断しました。つまり、この権利を根拠にして、市民は、国家の違憲行為に対して差止め請求や損害賠償請求ができる、というのです。これにより、平和を求める訴訟の地平は大きく拓かれた、といえます。
 これまでの自衛隊裁判で明確な違憲判断を下したものは長沼訴訟第1審判決(1973年札幌地裁、福島判決)です。控訴審で覆されたこの判決は、自衛隊の存在それ自体を違憲とし、また、住民が自衛隊のミサイル基地建設で有事の際には町が攻撃目標とされる、という直接的な被害を理由とする平和的生存権の主張を認めたものでした。今回の判決は、自衛隊の合憲性それ自体は問うことなく、その活動を違憲とし、また戦争に荷担したくないという市民の良心が踏みにじられたことを平和的生存権侵害の理由とする訴えが、一般的には成立しうることを認めたわけです。
 長沼判決から35年。いまは、当時とは憲法をとりまく状況が大きく変化しています。イージス軍艦が市民の漁船を沈没させて憚らないなど軍事優先の風潮がはびこっており、その風潮を背景にして、自衛隊海外派兵が常態となっています。しかし、今回の判決は、そのような憲法無視の政治を致し方のないものとして追認してしまうことなく、憲法の原点をはっきりと示して、政治がそれに従うよう求めたものです。この判決のもつ巨大な意義は、いくら高く評価してもしすぎるものではありません。
 また、この35年の間、自衛隊裁判では、憲法判断を何とか回避しようとする傾向が支配的でした。しかも、遺憾なことには、憲法の最後の番人の役割を憲法によって託されているはずの最高裁が、その傾向を導いてきました。しかしながら、今回の裁判官たちは、そうした司法界の現状をよしとせず、政府の行為に対して憚ることなくまっすぐに憲法をあてはめ、説得力に富む論証により違憲の判断を下しました。その、司法の気概を貫いて政治に右顧左眄しない勇気と憲法への誠実さは、違憲審査権を国民から預かる裁判官のもつべき特性を余すところなく示したものとして称えられ、さぞかし歴史に残るものとなると信じます。

 2 政府の「傍論」批判は道理のない暴論
 今回の判決で、原告市民は、判決の理由の叙述の中でイラク派兵違憲という、求めていた説示を得ながら、主文で控訴棄却となり敗訴しています。今回の事案では個々の原告の権利・利益の侵害は裁判所で救済しなければならないところまでは至っていない、とされたためです。しかし、実質的に勝訴した原告たちは上告しない方針で、片や勝訴判決を受けた国側には上告する資格がありません。こうして、この実質違憲判決は確定することになります。その点が、政府が切歯扼腕するところで、判決への非難もそこに集中させています。
 すなわち、福田首相は、「違憲の判断をしたのは傍論、ワキの論。判決は国が勝っている」と述べ、また、田母神俊雄航空幕僚長は、「そんなのかんけいねえ」とお笑いタレントのギャグを使って判決を愚弄しました。いずれも、「裁判所の判断が行政府に優越するのは主文と主文を導き出すのに必要な部分に限られる」(高村外相の言)といおうとしたものだと考えられます。ここには2つの論点があります。
 ひとつに、この論法は、裁判において主文を導くのに不可欠な判決理由(いわゆるレイシオ・デシデンダイ)とそれ以外の傍論(オビタ・ディクトゥム)とを2分し、法的拘束力をもつのは前者だけだという考えに立っています。しかし、これは、英米など判例法主義の国に通用するもので、成文法主義のわが国では両者は厳密には区分されず、傍論として述べられた説明が先例とされることも少なくありません。わが国の違憲審査の判決で重要なのは、事案の真の解決のためになされた判断部分とそうでない部分との区別です。
 今回でいえば、まさに9条及び平和的生存権にかんする判断こそが事案の解決にとって決定的重要性をもつものであって、行政府は、それに拘束されます。今回のものが最高裁判決でなく下級審判決であることを考慮してもなお、政府にはそれを尊重する義務があります。イラク派兵行為について、「判決に即してこれを誠実に見直します」と言明するのが、政府の最低限の弁えであったというべきでしょう。そうであるのに、「傍論ゆえに無視してよい」というのは、違憲審査制への無理解、ないしは判決の価値をあえて軽いものと印象づけるためにする暴論にほかなりません。
 もうひとつは、現行裁判制度上、国側が上告できなくなったことへの憤懣であり、それが昂じて法改正の提唱までなされています。たしかに、国が主文で勝ったがゆえに上訴の機会をもつことなく違憲の判断が確定した事例は、これまでにも靖国神社への首相公式参拝の違憲が争われた裁判などにおいてみられます。国側にとっては、由々しい事態なのでしょう。しかし、そもそも上告にせよ控訴にせよ、上訴の制度は、本質的に、訴訟上の弱者のために設けられたものと考えることができます。その観点からすれば、究極の強者である国には上訴の利益はないものといえます。
 それに何より、この訴訟では、4年にわたる裁判で、被告としての国は、一貫してイラク派兵が合憲であることの弁証に努めようとはしませんでした。市民には裁判を起こす資格がないという主張に耽っていたのです。昨年秋に私が証言した際にも、国側は、反対尋問を促されても「ありません」のひとことでした。それなのに、今さら「最高裁で議論したい」というのは、まさに噴飯ものです。
 なお、このような議論の底流に、国民から選挙されていない裁判官に政治の正否を判断させるべきでないという考え方があり、それは今回も顔を出しています。たしかに、民主主義と司法権の関係は、むつかしい原理的な論点です。ただ、日本国憲法は、国会や政府の行為が憲法に違反していないかどうかを職業裁判官が判断・決定する制度——違憲審査制を、何より基本的人権の保障の実を上げるために、多くの国々と同様に採用しているのであり、そこから出発すべきです。この制度のもとでは、国会・内閣という政治部門は、司法が示した法的判断に従うことが求められます。司法が政治部門の行為を追認したときにはそれを良しとし、この度のように行為をたしなめたときにはにわかに「民主主義」論を持ち出すようなやり方は、人々を納得させるものではありません。

 3 反響と政府が今なすべきこと
 この判決への反響は、当然ながらに大きく、マスメディアは、当日夕方から翌日にかけて活発に報道しました。NHKは、「空自の活動の『一部』が違憲とされたが、政府は活動を継続するとしている」という趣旨で報道を繰り返しました。新聞では、中日をはじめ朝日・毎日は判決を積極的に受けとめたのにひきかえ、読売・産経・日経は、先に紹介した政府の判決批判と同様の立場から、「問題判決」(読売)と捉えています。とくに日経は、この判決を機に集団的自衛権論議を活発にしよう、と呼びかけています。これらの体制的論調が、今日のわが国社会におけるひとつの強い流れとなっていることにあらためて気を配っておきたいと思います。
 政府についていえば、いずれにせよ、憲法を誠実に守るべき法治国家の政府である以上、司法が違憲審査によって示した判断には服さなければならず、イラクに現在も出している自衛隊については、これを即時全面撤退させるという以外の選択肢はありません。さらに、今日制定が図られている、いわゆる自衛隊派遣一般法(派兵・武力行使恒久法)は、武力行使や戦闘地域での活動まで含む派兵を常時可能とする仕組みをつくろうとするものですから、今回の判決に照らして許されないものであることは明白です。立法作業の取りやめが求められているといわなければなりません。
 このようにして、名古屋高裁の判決は、憲法九条が生き続けており、私たちの社会に深く定着していることを示しました。それは、世界と日本の平和を築く事業にとってかけがえのない礎石となる判決であったといえます。

 4 歴史的判決をもたらしたもの
 日本戦後史において金字塔としての輝きをもつことになるであろうこの判決を生み出したものは何か。広範で深い分析はこれからの共同作業に待たなければなりませんが、何よりも、これまでの永年にわたる人々の努力がその土台をなしていることは明らかでありましょう。
 戦後だけでも60年を越える間、平和を守るための努力は、営々として積み重ねられてきました。
憲法運動に限っても、憲法会議や、また近くは九条の会に結集する人々の誠実な姿があります。また、人々は、自衛隊だけでなく日米安保体制がいかに平和に生きることの桎梏となっているかを忘れてはいません。
 こうした努力の積み重ねの上に、今般の自衛隊イラク派兵に直面して、政治的立場や信仰を超えて原告団が結成され、全国で11に及ぶ訴訟が提起され、それらの間にネットワークが形成されました。また、イラク平和訴訟の前史をなすもののひとつとして、湾岸戦争時の、いわゆる市民平和訴訟の運動がありますが、その教訓も今回生かされたものと思われます。そして、今回の訴訟では、原告の皆さんの熱意を、豊かな力量を持つ弁護団が支えました。名古屋訴訟で蓄積された裁判文書は、そのことを遺憾なく証していると思います。加えて、学者による理論的貢献もみられました。こうした団結した態勢こそ、歴史的判決を押し出す力となったといえましょう。
 そして、それと響き合うように、名古屋では裁判官に人を得ました。憲法感覚の豊かな裁判官は、さぞかし、人々が今日の憲法無視の政治に対して抱く危機意識を鋭敏に感じ取ったにちがいありません。——こうして、前進のための確かなひとつの要石が置かれました。そこから、憲法九条の輝く世の中を作る事業は、今から始められることになります。

       (配信元:愛知大学九条の会)